どうして学生は質問しないのか?〜「ものの見方、考え方」外山滋比古〜
今回は、「なぜ学生は質問しないのか?」というテーマで、少し学生目線から何かを教えている人へ向けてのメッセージを記していこうと思う。
(筆者は、大学生という立場であるものの塾講師や日本語教師として学ぶだけではなく教えるという立場にも立っている。
今までとは違うことに挑戦するうちに質問をすることへの難しさなどを肌で感じている。)
ものの見方、考え方〜外山滋比古(著)
作者は、著書で「どうして学生は質問しないのか?」など幅広く教育について語っている。
その中で個人的に心に響いた内容を抜粋する。
なぜ学生は質問しないのか?
教えている立場に立っていると、「このこと分かっている?」と質問すると大概の生徒は「はい」と答えるだろう。
しかし、本当に分かっているのかどうかは怪しいことが多い。
少しその内容を質問するとやっぱり分かっていないということもしばしばある。
そこで疑問に思う教員もいるのではないだろうか?
なぜ質問しないのだろうか?
この質問に対して筆者は以下のように述べている。
質問することは能力がいる。
相手の言うことに疑問を抱き質問するのは問題を解くときと別の頭の働きが必要だからだ。
質問力を身につけるには「ものごとを疑い、自分の見方、考え方を磨く必要がある。
質問するということは自発的な意志と、創造力が必要なのだ。
しかし、今の学校教育では教員が積極的に知識を教え続ける受け身の学習が取られている。
そのような学習方法では自分の意志で質問する能力は身に付かないだろう。
このことを同じ著者の本である「思考と整理学」で、筆者は「グライダー人間と飛行機人間」という例えを用いながら今の教育では受け身の学習で創造力が身に付かないと懸念している。
日本語は全て全角の大きさであり、縦書きで上→下へ読めるものとして発達した?
日本語は平仮名もカタカナも漢字も全て全角のマスに収まるようになっている。
一方英語などのアルファベットは、大文字や小文字があったり「m」や「n」によって横幅が文字によって違ったりする。
日本語の漢字などは特に辺を左側に書き、その後につくりを右側に書くという上→下に書きやすい文字になっている。
また、よく校正を生業としている人は横書きの文章を読むときに定規で次に読む文章を隠している行為を見たことはあるのではないだろうか?
これは、横書きだと今読んでいる行からその次に読む行へ目を移す時に流れが切れてしまうことを防ぐためと言われている。
日本語は本来横書きではなく縦書き用に進化してきた。
しかし、外来語など外国の文化や言葉を取り入れて行く中で横書きの方が優れているだろうと判断されて横書きがよく使われるようになった。
数字や英文も織り交ぜながらメモしたい場合は、やはり横書きがいいと思うものの一般的な本(小説や随筆など)を読むときはやはり縦書きがこれからも主流になるだろう。
感想
自分は最近、生徒側として先生側として教育に携わる機会が多い。
だから、なかなか質問しにくい生徒の気持ちもよく分かる。
なぜなら自分自身も質問をすることには少し抵抗があるからだ。
「こんなことも分かってないのかと思われるのは恥ずかしいな」
「何から質問すればいいのか」
など考え巡らせているうちに面倒になって結局「わかってます」と答えてしまった時もあった。
しかし、それは凄く勿体無いことだと思う。
「分かっていないから教えてもらうのだから分かっていないことは当然だ」
と割り切ることで、今まで知らなかった知識を手に入れることが出来る嬉しさを体感してから考え方が変わっていった。
だから私は、分からなかったら些細なことでも質問しようと思っている。
そうすると、今まで分かっていたと思っていた内容でも知らない情報や知識を教えてもらえるきっかけに繋がることもあるだろう。
教える立場になってあまり活発に話さない生徒や外国人などと接することもよくある。
そんな生徒とは、趣味など共通のものごとを見つけてそこから会話を弾ませることで「質問しやすい環境」を作る必要があると考えている。
また、「積極的に教えすぎる」のも禁物だ。
自分のペースで授業が進むと思ったら大間違いだ。
じっくり考えるタイプの生徒だったら一緒に考えて、それでも行き詰まっていたらヒントを出すなど生徒のペースに寄り添うことも重要だと思っている。
また、最近のニュースでは教育を数値化しすぎである問題が浮上してきた。
なんでもテストをして能力を数値として測ろうとしている。
その数値によって学校も塾も親も一喜一憂している傾向にある。
その結果、テストのデータを良くするために成績が良い人たちしかデータに入れない「上澄みすくい」などの不正が横行してしまい、
「ひとりひとりの能力を向上させる」という本来の教育の目的から離れていってしまっている。
このことを「欲ばり」な学校教育を続けるのか 平成の教育史を振り返る(妹尾昌俊)では、
学校の幅広い目標を犠牲にしてテストそのものに注力しようとするなど、ねじれたインセンティブを生むようになってしまう」
と紹介されている。
生徒のペースに寄り添い、テストの数値にこだわらず長い目で俯瞰して生徒を見続ける。
それらが出来るようになるためには、私自身日々勉強をしていく必要がある。
しかし、教えることはとてもやりがいのあることだと思っている。
今の環境を大切にしながら、様々なことに挑戦していきたいと考えている。