なぜ日本語は難しいのか〜「日本語の宿命」薬師院仁志〜
今回は、日々私たちが何気なく使っている日本語について考えてみる。
しかし、平仮名・カタカナ・漢字の3種類を使いこなすのは日本語を母語として使う私たちにとっても難しいことだ。
外交官などの専門職を養成する米国務省機関である外務職員局の調査によると
日本語は、難易度カテゴリーの最高位であるカテゴリー5に、アラビア語・中国語・韓国語とともに含まれている。
カテゴリー5は2200時間(約2年)の勉強が必要であるようだ。
そこで、「なぜそんなに難しいのか」を日本の学問の歴史を通じて学んでいきたい。
(筆者は最近、外国人に日本を教えるボランティアをしている。
なかなか楽しいもので日々そんなこと考えていなかったような事も論理的に説明しなければならない新鮮さがとても楽しいと感じている。)
「日本語の宿命」薬師院仁志(著)
この本は、外来語を受け入れる力量が高い日本語の、外来語を取り入れた歴史による弊害が事細かに例を挙げながら説明されている。
時代は、文明開化と呼ばれた明治時代に遡る。
日本の技術や文化を向上させるために、
明治時代の学者たちは外国の言葉を積極的に取り入れ、それに日本語訳を当てはめて文学に浸透させ始めた。
しかし、色々な学者が同時期に様々な外来語を盲目的に訳し取り入れたため、
日本語との概念の相違がどうしても拭えなかった。
だから同じ語源でも日本語では別々の意味となって浸透し、明確な定義がわからなくなってしまったのだ。
このように日本語の難しさは、外来語を取り入れやすい言語であるため、西洋の学問をいち早く取り入れて日本を発展させるため積極的に取り入れた明治時代の混沌によるものであるのだった。
また日本語自体も元々漢字を用いて作られた言語であるため余計、難しくなったとも言える
よって、日本人でもきちっとした定義が分からず曖昧なまま取り入れているのが現状のようだ。
その例をいくつか挙げておこう。
個人とは?
個人というと、自分一人というイメージをする方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、個人は自分一人の意味だけではないのだ。
個人
1 国家や社会、また、ある集団に対して、それを構成する個々の人。一個人。「個人の意思を尊重する」
2 所属する団体や地位などとは無関係な立場に立った人間としての一人。私人。「私個人としての意見」
[補説]英語 individuale の訳語は「一個の人」から「一個人」を経て明治中期、「個人」に定まったらしい。
自分一人としての「individual」の訳語として広まったものの、
「個人」という言葉には、「集団に束縛されない一匹狼的な態度であり、特定の身分や階級に属する人間」という意味もある。
だからこそ、日本でよく「個人タクシー」や「個人旅行」という言葉を耳にする。
「個人タクシー」は、集団つまり会社に属さず自分で営業しているタクシーであり、
また「個人旅行」は、何もひとり旅という意味ではなく家族で自ら予約を取って旅行するものであるのだ。
個人主義と利己主義の違い
個人の定義を引用すると…
「個人主義」は自己の個性の発展のために他人の個性も尊重する、
特定の身分・階級に属する人を大切にする考え方
その一方で利己主義は、
自分自身や自分の周りの人たちの利益を中心とする考え方
利己主義は外来語を使って表すと「エゴイズム」と呼ばれることもある。
このように、実はだいぶ考え方に相違点があるのだ。
感想
同じ語源でも外来語として日本に取り入れられた時に意味が変化してしまい、
元々の意味がどっかいってしまったことも少なくない。
しかし日本語は外国の文化をいち早く取り入れることで技術や文化を向上させて、一端の島国でも世界の先進国の仲間入りを果たしたのであろう。
日本人の勤勉さや様々な国の発達した学問を学ぼうという熱心さがそうさせたのかもしれない。
あながち、色々な国の言語を取り入れるのに最適な言語であるのだろう。
そのような言語は、考えれば考えるほど奥深いのだ。
なんせ、様々な国の考えや歴史が詰まっているのだから…